2008年04月26日
速まるスピード・わたしカンカク②
前回の①に続いて考えたことです。
以前は、
「自分の存在」というものは
わたし的には「個」であり、1つのものだったはずなんだけど
最近は、
自分は物理的現象としては「1 / 個」であるけど、
実は1つではなくて、3つくらい(もっとかも?)で成っている?
という感覚で日々過ごしているのによく気付きます。
(気付いてからスピードが速くなったような気も・・・)
気付くわたしは誰?って感じなんですがね。
(あ、分裂しているわけではないですよー
)
もともとあった「本来の自分自身」が
今を生きていく(為の)この「カラダという道具」に乗って
その結果、それ相応の「心(人格)」が形成されて
目の前の現実を日々生きている、
みたいな感覚なんです。
で、何かあると、自分の中で
わたし(心):ねぇ、アンタどー思う?
本来の自分自身:んー、知らん。
でもま、いいんじゃない、それで。
てな感じで、時々はカラダ様にもお伺いを立てながら
えっちらおっちら日々を過ごしてる感じです。
以前はよく
「自分と向き合う時間」と称して
似たようなことを意識してやってたような気がしますが
今は無意識に、頭で考える間もないまま
そういう感じになってしまいます。
さらに、こんなことを書くと
「タイヘンだ!病院へ行ってください!」
と思われそうですが
先ほどの
本来の自分自身:んー、知らん。
でもま、いいんじゃない、それで。
というパートが出張して?
庭のアラカシの木が、
窓から見える塀にとまったスズメが、
その台詞を言ってるような・・・
そんな感覚に触れることがよくあります。
アラカシの木も、スズメも、もう1人の自分?
なんじゃそりゃ~ですかね。
まぁそんな気がしているだけで
実際に耳に聴こえたりするわけではないです。
多分自分の意識が鏡のように、木やスズメを通して
反ってきただけの話ですね。
しかしそう思うと、結局目に見える全ての現象は
自分自身の世界を反映しているんだろうかー?
なんて考えに行き着いたりしています。
そして、
自分の存在って何なんだろう?
と、こどもの頃のように(宇宙の果ては?裏側は?みたいな)
懐かしい思考に浸ってしまいます。
ただ、行き着く思いはこどもの頃とは違いますね。
こどもの頃は、自分の存在を考えたときに浮かぶ、
未知の世界への漠然とした恐怖心と、少しの好奇心で
頭も心も不安定な気持ちに満ちてしまってました。
それは多分「死=闇=無」みたいなイメージがあり
自分自身の消滅を恐れていたからかもしれません。
しかし今は、自分の存在は小さいけど、一瞬にして広がる、
自由自在なものなのかも?
時間とか、次元とか、関係ないところで
そこに漂っているものなのかも?
と、感じることが多々あります。
これって不思議な感覚だけど、恐怖や不安ではなく
静かで安らぐ場所に自分がいるイメージです。
(多分坐禅や瞑想の影響だと思います)
だけど、イメージするだけで、その先が分かりません。
そこからどうなるのか、どうするかは、想像出来ません。
分からないまま、たどり着けないまま、また、
現実世界の「生」とか「死」とか根源的なものへ振り出されます。
そうやって「わたし」を何度も繰り返してきたんでしょうかね。

③に続く
以前は、
「自分の存在」というものは
わたし的には「個」であり、1つのものだったはずなんだけど
最近は、
自分は物理的現象としては「1 / 個」であるけど、
実は1つではなくて、3つくらい(もっとかも?)で成っている?
という感覚で日々過ごしているのによく気付きます。
(気付いてからスピードが速くなったような気も・・・)
気付くわたしは誰?って感じなんですがね。
(あ、分裂しているわけではないですよー
)もともとあった「本来の自分自身」が
今を生きていく(為の)この「カラダという道具」に乗って
その結果、それ相応の「心(人格)」が形成されて
目の前の現実を日々生きている、
みたいな感覚なんです。
で、何かあると、自分の中で
わたし(心):ねぇ、アンタどー思う?
本来の自分自身:んー、知らん。でもま、いいんじゃない、それで。
てな感じで、時々はカラダ様にもお伺いを立てながら
えっちらおっちら日々を過ごしてる感じです。
以前はよく
「自分と向き合う時間」と称して
似たようなことを意識してやってたような気がしますが
今は無意識に、頭で考える間もないまま
そういう感じになってしまいます。
さらに、こんなことを書くと
「タイヘンだ!病院へ行ってください!」
と思われそうですが
先ほどの
本来の自分自身:んー、知らん。
でもま、いいんじゃない、それで。
というパートが出張して?
庭のアラカシの木が、
窓から見える塀にとまったスズメが、
その台詞を言ってるような・・・
そんな感覚に触れることがよくあります。
アラカシの木も、スズメも、もう1人の自分?
なんじゃそりゃ~ですかね。
まぁそんな気がしているだけで
実際に耳に聴こえたりするわけではないです。
多分自分の意識が鏡のように、木やスズメを通して
反ってきただけの話ですね。
しかしそう思うと、結局目に見える全ての現象は
自分自身の世界を反映しているんだろうかー?
なんて考えに行き着いたりしています。
そして、
自分の存在って何なんだろう?
と、こどもの頃のように(宇宙の果ては?裏側は?みたいな)
懐かしい思考に浸ってしまいます。
ただ、行き着く思いはこどもの頃とは違いますね。
こどもの頃は、自分の存在を考えたときに浮かぶ、
未知の世界への漠然とした恐怖心と、少しの好奇心で
頭も心も不安定な気持ちに満ちてしまってました。
それは多分「死=闇=無」みたいなイメージがあり
自分自身の消滅を恐れていたからかもしれません。
しかし今は、自分の存在は小さいけど、一瞬にして広がる、
自由自在なものなのかも?
時間とか、次元とか、関係ないところで
そこに漂っているものなのかも?
と、感じることが多々あります。
これって不思議な感覚だけど、恐怖や不安ではなく
静かで安らぐ場所に自分がいるイメージです。
(多分坐禅や瞑想の影響だと思います)
だけど、イメージするだけで、その先が分かりません。
そこからどうなるのか、どうするかは、想像出来ません。
分からないまま、たどり着けないまま、また、
現実世界の「生」とか「死」とか根源的なものへ振り出されます。
そうやって「わたし」を何度も繰り返してきたんでしょうかね。
③に続く
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この記事へのコメント
私は、あの仕事をしてから、本当に多重人格になりました。
この人のときは、この私。
アノ人がきたから、この私。
家にいるのは、この私。
で、私は誰だっけ? みたいな。
時々ものすごい不安に陥ったときは、「誰か本当の私を見つけてー!」なんて思ったこともありましたよ。
最近は結構素ですけどね。てか、どんな自分も受け入れられるようになったというか、仕事がヒマだから脳みそも解けてきたのか。
この人のときは、この私。
アノ人がきたから、この私。
家にいるのは、この私。
で、私は誰だっけ? みたいな。
時々ものすごい不安に陥ったときは、「誰か本当の私を見つけてー!」なんて思ったこともありましたよ。
最近は結構素ですけどね。てか、どんな自分も受け入れられるようになったというか、仕事がヒマだから脳みそも解けてきたのか。
Posted by おりじん at 2008年04月26日 11:51
えぇ!?そうなんですか!
おりじんさんって、どどーんと構えてて
相手が誰であっても「わたしはわたし、オレはオレ」みたいな、
そんなイメージでしたよー
ふふふ、意外と「イタイケな乙女」な部分もあるのですね。
でもわたしが知るおりじんさんは、オンナオンナしてなくって
スッキリスパッと(でも繊細)かっこいい、ステキなおりじんさんです。
そんなおりじんさんが大好きです。
わたしは市場で店をやってから、というか
年をとるごとに、やっと、素の自分でいられるようになりました。
昔は多重人格というより、ハウメニーいい顔な、八方美人タイプでした。
今はホントにラクチンな自分です。
これって単に昔流行語になった「オバタリアン」になっちまっただけかも
しれませんが・・・
おりじんさんって、どどーんと構えてて
相手が誰であっても「わたしはわたし、オレはオレ」みたいな、
そんなイメージでしたよー
ふふふ、意外と「イタイケな乙女」な部分もあるのですね。
でもわたしが知るおりじんさんは、オンナオンナしてなくって
スッキリスパッと(でも繊細)かっこいい、ステキなおりじんさんです。
そんなおりじんさんが大好きです。
わたしは市場で店をやってから、というか
年をとるごとに、やっと、素の自分でいられるようになりました。
昔は多重人格というより、ハウメニーいい顔な、八方美人タイプでした。
今はホントにラクチンな自分です。
これって単に昔流行語になった「オバタリアン」になっちまっただけかも
しれませんが・・・
Posted by ハルミ at 2008年04月26日 17:21









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