› 家外活動日記 › 2008年04月2008年04月30日
地域を支える人々。
昨日の外出中、ふと思い立って、1年以上ぶり?に
携帯からブログを投稿してみたのですが
ちゃんとアップされてました。ふふふん。
いつもパケット料金が有り余っているので
たまにはこーゆーのもいいですね。
さて。
実はわたし、今年度はいろいろと当たり年でございます。
昨年度も転入したてにも関わらず、アミダクジ当選で
長女の学年で学年委員長みたいなヤツになってしまい
そりゃないぜ、って感じだったのですが
今年度もまたまたアミダクジで
今度は町内の子ども会会長に就任してしまいました
と同時に、町内の自治会理事にも就任
しかーも!ジャンケンで長女の部活動父母会長にも就任
まぁね、長女が6年生ですからね・・・
それなりに何かしらの役割を担わねばならないのは
ある程度書覚悟していましたよ。
しかし、まさかこんな大役を背負わねばならぬとは・・・
まだ転入して1年なのによー
学校のことも、地域のことも、知らないってばさ~
でも、公平なくじ引き&ジャンケンで決まったことで
わたしだけ例外的に免除されちゃう特典はナッシング。
これはもう、腹括ってやるしかないのであります。
ってことで、開き直って
「どーせやるなら、おもしろがってやってやろうじゃないの!」
なんて大きな声では言えない気弱な小市民ではありますが
(言ったらまた次も回ってくる可能性が
)
気負わず背負わず、出来る範囲で頑張ればいいさーと
楽しんで(イヤイヤだけど)取り掛かることにしました。
で、先週末、初めての自治会のお仕事である
「町内廃品回収」(古紙・古雑誌・本・アルミ・スチール缶など)と、
自治会役員会に参加してきました。
引継ぎ情報で「・・・大変よ
」
と聴かされていたので、ドキドキ気分での参加でした。
実際、こども会会長に就任してしまったとき
自治会長さん宅にご挨拶に伺ったのですが
「は?
あんたが会長?えぇっ?昨年転入?
何も知らんあんたが会長?
・・・はぁ~、こりゃ大変ばい
」
とジロジロ呆れ顔で眺められ、ため息をつかれたりしたので
今後度々嫌味とか言われちゃったりするんだろうなーと
覚悟もしていました。
しかし!?
いやいやどうして!案外、おもしろかったのです。
例の自治会長さんは、まぁそういう物言いキャラのようで
悪意はないということを確認。
誰に対しても、そんな口調でしたし。ザ・長老です。
他の自治会のおじさま方も、個性的な方ばかり。
なんでまたこんなにバランスのいいキャラばかり揃ってるの?
と思うほど。青年マンガちっくです。
ある意味、ドリフターズでした。
よし、せっかくだから、今回の自治会役員会での話の中で
心に残った話を1つ、ブログに記録しておこうかな。
ではでは、役員会の中で、1番わたしの心が動いた話を。
災害時などの緊急時において
障がいのある方や、1人暮しのお年寄りの方を
どのようにして非難支援するか?
という話です。
60~70代の役員のおじさま方の素の会話が
とっても切実で、でも楽しくて、心がほわほわじーんと
したのでした。
こんな内容です。
自分たちだってもう年寄りなのに、災害・緊急時、
ホントは人の非難支援どころじゃないよなぁ。
でもこの地域の若い世代はアパートやマンションに移ってしまい
自治会役員もいつも同じ面子で年寄りばっかりだし
顔が分かる昔ながらの住人も、年寄りがほとんど。
それでも協力して何とかしないといけないわけだ・・・
1人で歩けない人、車椅子利用のお年寄りを1人ずつ運ぶのは
何とも大変だ。こっちの身ももたない。
じゃぁどうする?
救急車とか、担架とか、そうそう使えない。
んー・・・。
・・・そうだ!
リヤカーを買ってお年寄りを乗せて逃げる!
ってのは?
ほぉぉぉ~
いいんじゃないの!?
そこから夫々のリヤカー情報が飛び交いました。
「○○の農機具展示会で
アルミ製の折りたたみ式リアカーを見たぞ!」とか
「でもそれはかなり高くて買うのは大変だよ、
どっから予算を持ってくるか?」とか
「でも錆びないからやっぱ高くても断然アルミだ!」とか
「リヤカーの底には板か何か敷かないとね!」とか・・・。
(↑コレはおばちゃん役員の案。おばちゃん風ね
)
うちの地域では、保育園の園児がリヤカー風なカートに
3~4人乗せられてお散歩しているのをよく見かけるのですが
「あんな感じで、ヨボヨボの年寄りがリヤカーに乗ってるのも
想像したら何だかおかしいなぁ」
なーんてみんなで笑って盛り上がって。
ご近所の底力、という番組がありましたが
まさにそんな感じで、皆さんが話してるのを傍から見ていて
あたたかい幸せなキモチが湧いてくるのでした。
殺伐とした事件の多い、今の不安な世の中、
あたりまえに暮らしていた街の、見えないところで
こんな風に地域を愛する皆さん方が
わたしたちの地域が、生活が、安心出来るものであるように
実はいつも見守ってくれていたんだ・・・と、しみじみ感謝しました。
一見、面倒臭い感じもするのですが
横だけではなく、異世代間の縦のつながりは
人間らしい地域社会を築いていくのに不可欠なことですね。
(残念ながら、つながりはどんどん消えていってますが・・・。)
初めて自治会長宅に挨拶に行った時
「ちぇっ、好きで会長になったんじゃないよ!頑固じじぃめ」
な~んて心で悪態ついたりしちゃった自分を深~く反省。
そういえば
「災い転じて福となる」みたいな諺、ありましたっけ。
災いのように感じていたいろいろな役割も
わたしにとって大切で必要な、ギフトかもしれませんね。
あぁ、前向き。あぁ、単純。
ほんと、わたしは1晩寝たら忘れるタイプですわ。
でもホント、これからの1年間、自治会のおじさま達に
いろいろなことを教えてもらうんだろうな~。
それをまた、繋げていければいいな~
しかし・・・益々わたしのおっさん度アップしたりして・・・
携帯からブログを投稿してみたのですが
ちゃんとアップされてました。ふふふん。
いつもパケット料金が有り余っているので
たまにはこーゆーのもいいですね。
さて。
実はわたし、今年度はいろいろと当たり年でございます。
昨年度も転入したてにも関わらず、アミダクジ当選で
長女の学年で学年委員長みたいなヤツになってしまい
そりゃないぜ、って感じだったのですが
今年度もまたまたアミダクジで
今度は町内の子ども会会長に就任してしまいました

と同時に、町内の自治会理事にも就任

しかーも!ジャンケンで長女の部活動父母会長にも就任

まぁね、長女が6年生ですからね・・・
それなりに何かしらの役割を担わねばならないのは
ある程度書覚悟していましたよ。
しかし、まさかこんな大役を背負わねばならぬとは・・・
まだ転入して1年なのによー
学校のことも、地域のことも、知らないってばさ~

でも、公平なくじ引き&ジャンケンで決まったことで
わたしだけ例外的に免除されちゃう特典はナッシング。
これはもう、腹括ってやるしかないのであります。
ってことで、開き直って
「どーせやるなら、おもしろがってやってやろうじゃないの!」
なんて大きな声では言えない気弱な小市民ではありますが
(言ったらまた次も回ってくる可能性が
)気負わず背負わず、出来る範囲で頑張ればいいさーと
楽しんで(イヤイヤだけど)取り掛かることにしました。
で、先週末、初めての自治会のお仕事である
「町内廃品回収」(古紙・古雑誌・本・アルミ・スチール缶など)と、
自治会役員会に参加してきました。
引継ぎ情報で「・・・大変よ
」と聴かされていたので、ドキドキ気分での参加でした。
実際、こども会会長に就任してしまったとき
自治会長さん宅にご挨拶に伺ったのですが
「は?
あんたが会長?えぇっ?昨年転入?
何も知らんあんたが会長?
・・・はぁ~、こりゃ大変ばい
」とジロジロ呆れ顔で眺められ、ため息をつかれたりしたので
今後度々嫌味とか言われちゃったりするんだろうなーと
覚悟もしていました。
しかし!?
いやいやどうして!案外、おもしろかったのです。
例の自治会長さんは、まぁそういう物言いキャラのようで
悪意はないということを確認。
誰に対しても、そんな口調でしたし。ザ・長老です。
他の自治会のおじさま方も、個性的な方ばかり。
なんでまたこんなにバランスのいいキャラばかり揃ってるの?
と思うほど。青年マンガちっくです。
ある意味、ドリフターズでした。
よし、せっかくだから、今回の自治会役員会での話の中で
心に残った話を1つ、ブログに記録しておこうかな。
ではでは、役員会の中で、1番わたしの心が動いた話を。
災害時などの緊急時において
障がいのある方や、1人暮しのお年寄りの方を
どのようにして非難支援するか?
という話です。
60~70代の役員のおじさま方の素の会話が
とっても切実で、でも楽しくて、心がほわほわじーんと
したのでした。
こんな内容です。
自分たちだってもう年寄りなのに、災害・緊急時、
ホントは人の非難支援どころじゃないよなぁ。
でもこの地域の若い世代はアパートやマンションに移ってしまい
自治会役員もいつも同じ面子で年寄りばっかりだし
顔が分かる昔ながらの住人も、年寄りがほとんど。
それでも協力して何とかしないといけないわけだ・・・
1人で歩けない人、車椅子利用のお年寄りを1人ずつ運ぶのは
何とも大変だ。こっちの身ももたない。
じゃぁどうする?
救急車とか、担架とか、そうそう使えない。
んー・・・。
・・・そうだ!
リヤカーを買ってお年寄りを乗せて逃げる!
ってのは?
ほぉぉぉ~
いいんじゃないの!?そこから夫々のリヤカー情報が飛び交いました。
「○○の農機具展示会で
アルミ製の折りたたみ式リアカーを見たぞ!」とか
「でもそれはかなり高くて買うのは大変だよ、
どっから予算を持ってくるか?」とか
「でも錆びないからやっぱ高くても断然アルミだ!」とか
「リヤカーの底には板か何か敷かないとね!」とか・・・。
(↑コレはおばちゃん役員の案。おばちゃん風ね
)うちの地域では、保育園の園児がリヤカー風なカートに
3~4人乗せられてお散歩しているのをよく見かけるのですが
「あんな感じで、ヨボヨボの年寄りがリヤカーに乗ってるのも
想像したら何だかおかしいなぁ」
なーんてみんなで笑って盛り上がって。
ご近所の底力、という番組がありましたが
まさにそんな感じで、皆さんが話してるのを傍から見ていて
あたたかい幸せなキモチが湧いてくるのでした。
殺伐とした事件の多い、今の不安な世の中、
あたりまえに暮らしていた街の、見えないところで
こんな風に地域を愛する皆さん方が
わたしたちの地域が、生活が、安心出来るものであるように
実はいつも見守ってくれていたんだ・・・と、しみじみ感謝しました。
一見、面倒臭い感じもするのですが
横だけではなく、異世代間の縦のつながりは
人間らしい地域社会を築いていくのに不可欠なことですね。
(残念ながら、つながりはどんどん消えていってますが・・・。)
初めて自治会長宅に挨拶に行った時
「ちぇっ、好きで会長になったんじゃないよ!頑固じじぃめ」
な~んて心で悪態ついたりしちゃった自分を深~く反省。
そういえば
「災い転じて福となる」みたいな諺、ありましたっけ。
災いのように感じていたいろいろな役割も
わたしにとって大切で必要な、ギフトかもしれませんね。
あぁ、前向き。あぁ、単純。
ほんと、わたしは1晩寝たら忘れるタイプですわ。
でもホント、これからの1年間、自治会のおじさま達に
いろいろなことを教えてもらうんだろうな~。
それをまた、繋げていければいいな~
しかし・・・益々わたしのおっさん度アップしたりして・・・

2008年04月29日
コナラ林で
今日はお天気もいいので
ピクニックに来てます!
コナラの木陰でお弁当食べて
子供らはオトンと川遊びに出掛けました。
わたしは1人荷物番しながら読書中。
久々にのーんびり。
いい気持ちだー
(携帯からの更新だけど、出来てるかな)
2008年04月28日
起業と勉強
怪しい日記が続きましたね
まぁ、お気楽脳天気な3児の母・主婦なわたしですが
時にはそんなことも考えている、ってことで
さて、こないだブログを見てくれてる友人から
「もう仕事はしないの?」
と訊かれてしまいました。
そうですね。
「起業するわよ」的な雰囲気無しの日記ばかりですし
もう仕事する気ないのかなーと思われても当然かも。
しかし、起業は目指しています。
一応ね
(ブログのカテゴリーも起業だし)
そのために今、自分が知っておきたいと思えることを
少しずつ勉強したりしています。
その勉強によって得た資格なりを
そのまま仕事にするつもりはないのですが
自分がやりたいなーと思っていることと
少なからず関係していることなので、まぁ役には立つでしょう。
勉強している事は、起業するにしても、しなくても
今のわたしが「どうしても知りたいっ!」と思う事なので
これからの人生にも活かしていけるでしょう。
現在は、昨年から始めた「環境」についてを勉強中です。
まぁこの勉強は日々変化する環境を追っていくことになるので
延々続いていくのでしょうが、一応今年の秋で一区切り。
(お金を払って勉強するのがそこで終了ってこと)
その後は、ここ10年、ずーっと興味を持っていた
人間の心、心理について学びたいと思っています。
これもちゃんと学校で学ぶつもり(と言っても通信だけど)。
それを何とか来春までには終了させて
その後は、今自分がやりたいと思っているビジネスを
展開させていく為のヒントを学ぶため
某おもしろげなビジネススクールに入りたいと思っています。
とはいえ、そこは試験みたいなのがあるので合格すれば、ですが。
そんなかんじで勉強計画は予定では来年いっぱいですかね。
再来年にはまた自分ペースで「身の丈起業」が出来たらいいな。
まぁ予定なんで、どこかで変更があるかもしれませんが。
こんな風に計画を書き連ねてみると
将来を見据えて勉強している風ではありますが
ぶっちゃけると、未来がどうなってるかも分からない今、
再来年の(起業の)為に役立つ勉強をするのだ!という
意気込みは、実はありません。
未来はどうであれ、今自分がやりたい勉強をする、
というスタンスでいます。
これはとっても楽しいです。
○○の為に勉強している、という気負いもないので
○○が達成しなかったときの嫌悪感・後悔も心配無し。
起業するために役立つ勉強、じゃなくて
(以前は↑こんな感じで見合う勉強を探していた)
起業を考えた時に、今知りたいことが浮かんだ、
という感じかな。
違いが微妙で分かりにくいかな?
とにかく、自分が知りたいから、というように
勉強の動機が自分の探究心なのですからね、
そりゃ楽しいに決まってます。
それがもし、仕事に結びつく勉強であったとしたら
最高ですね。
まさに「好きなことを仕事にする」ことが出来るわけですから。
そんな感じで勉強していると
「あぁ、学生時代にもこんな風に勉強出来てたら
どれだけ実り多い学びを得ていただろう・・・」
と、つくづく思います。
勉強しないと受験に落ちる、という追い込まれ感で
とにかく詰め込み勉強をしていた学生時代。
興味のある科目もまぁ少しはあったけど
ほとんどがやらされている感で、やっつけ勉強。
挙句、受験と縁のなくなった短大時代は全く勉強せず・・・
ほんと、勉強なんて全く楽しくなかったよなぁ。
そんなわたしが今、こんな歳になってから
またテキスト片手に自分の意志で勉強しているのも
ほんとに不思議ではあります。
しかし、勉強、学び、とは
本来こういうものなんだなぁと、今さら気付いております。
それを実感した今、我が子の子育てに活かさない手はない!と
こどもの勉強に関しては、自分なりの関わり方法で
寄り添っていこうと思ってます。
まぁ学校の先生と方針が違うことも多いのですがね、
それも含めてこどもと話し合いながら、ぼちぼちやってます。
勉強方法をこどもと話し合う、ってのは結構おもしろいです。
最終的にはこどもが決めるのですが
自分で決めていく、という行為は、受動的になりがちな勉強に
自発性がプラスされるからでしょうかね?
わたしがこどもの頃よりも、はるかに勉強が楽しそうです。
(そして親のわたしはラクです
)
まぁ、わたしがこどもの頃より、全体の成績は良くないですが
わたしが学校の勉強で見つけられなかった「好きなこと」を
こどもたちは見つけているようなので、良いかなーと思ってます。
これからが楽しみです。
自分の勉強が、思いがけずこどもの勉強と繋がって
ちょっと得した?うれしい気分です。
こうなったら末っ子が受験勉強とかやってる頃まで
わたしも何かしら興味のあることを勉強し続けて
一緒に勉強タイムを分かち合えると楽しいかも!
(もうっ
お母さんジャマっ
とか言われたりして・・・)

まぁ、お気楽脳天気な3児の母・主婦なわたしですが
時にはそんなことも考えている、ってことで

さて、こないだブログを見てくれてる友人から
「もう仕事はしないの?」
と訊かれてしまいました。
そうですね。
「起業するわよ」的な雰囲気無しの日記ばかりですし
もう仕事する気ないのかなーと思われても当然かも。
しかし、起業は目指しています。
一応ね

(ブログのカテゴリーも起業だし)
そのために今、自分が知っておきたいと思えることを
少しずつ勉強したりしています。
その勉強によって得た資格なりを
そのまま仕事にするつもりはないのですが
自分がやりたいなーと思っていることと
少なからず関係していることなので、まぁ役には立つでしょう。
勉強している事は、起業するにしても、しなくても
今のわたしが「どうしても知りたいっ!」と思う事なので
これからの人生にも活かしていけるでしょう。
現在は、昨年から始めた「環境」についてを勉強中です。
まぁこの勉強は日々変化する環境を追っていくことになるので
延々続いていくのでしょうが、一応今年の秋で一区切り。
(お金を払って勉強するのがそこで終了ってこと)
その後は、ここ10年、ずーっと興味を持っていた
人間の心、心理について学びたいと思っています。
これもちゃんと学校で学ぶつもり(と言っても通信だけど)。
それを何とか来春までには終了させて
その後は、今自分がやりたいと思っているビジネスを
展開させていく為のヒントを学ぶため
某おもしろげなビジネススクールに入りたいと思っています。
とはいえ、そこは試験みたいなのがあるので合格すれば、ですが。
そんなかんじで勉強計画は予定では来年いっぱいですかね。
再来年にはまた自分ペースで「身の丈起業」が出来たらいいな。
まぁ予定なんで、どこかで変更があるかもしれませんが。
こんな風に計画を書き連ねてみると
将来を見据えて勉強している風ではありますが
ぶっちゃけると、未来がどうなってるかも分からない今、
再来年の(起業の)為に役立つ勉強をするのだ!という
意気込みは、実はありません。
未来はどうであれ、今自分がやりたい勉強をする、
というスタンスでいます。
これはとっても楽しいです。
○○の為に勉強している、という気負いもないので
○○が達成しなかったときの嫌悪感・後悔も心配無し。
起業するために役立つ勉強、じゃなくて
(以前は↑こんな感じで見合う勉強を探していた)
起業を考えた時に、今知りたいことが浮かんだ、
という感じかな。
違いが微妙で分かりにくいかな?
とにかく、自分が知りたいから、というように
勉強の動機が自分の探究心なのですからね、
そりゃ楽しいに決まってます。
それがもし、仕事に結びつく勉強であったとしたら
最高ですね。
まさに「好きなことを仕事にする」ことが出来るわけですから。
そんな感じで勉強していると
「あぁ、学生時代にもこんな風に勉強出来てたら
どれだけ実り多い学びを得ていただろう・・・」
と、つくづく思います。
勉強しないと受験に落ちる、という追い込まれ感で
とにかく詰め込み勉強をしていた学生時代。
興味のある科目もまぁ少しはあったけど
ほとんどがやらされている感で、やっつけ勉強。
挙句、受験と縁のなくなった短大時代は全く勉強せず・・・
ほんと、勉強なんて全く楽しくなかったよなぁ。
そんなわたしが今、こんな歳になってから
またテキスト片手に自分の意志で勉強しているのも
ほんとに不思議ではあります。
しかし、勉強、学び、とは
本来こういうものなんだなぁと、今さら気付いております。
それを実感した今、我が子の子育てに活かさない手はない!と
こどもの勉強に関しては、自分なりの関わり方法で
寄り添っていこうと思ってます。
まぁ学校の先生と方針が違うことも多いのですがね、
それも含めてこどもと話し合いながら、ぼちぼちやってます。
勉強方法をこどもと話し合う、ってのは結構おもしろいです。
最終的にはこどもが決めるのですが
自分で決めていく、という行為は、受動的になりがちな勉強に
自発性がプラスされるからでしょうかね?
わたしがこどもの頃よりも、はるかに勉強が楽しそうです。
(そして親のわたしはラクです
)まぁ、わたしがこどもの頃より、全体の成績は良くないですが

わたしが学校の勉強で見つけられなかった「好きなこと」を
こどもたちは見つけているようなので、良いかなーと思ってます。
これからが楽しみです。
自分の勉強が、思いがけずこどもの勉強と繋がって
ちょっと得した?うれしい気分です。
こうなったら末っ子が受験勉強とかやってる頃まで
わたしも何かしら興味のあることを勉強し続けて
一緒に勉強タイムを分かち合えると楽しいかも!
(もうっ
お母さんジャマっ
とか言われたりして・・・) 2008年04月27日
速まるスピード・わたしカンカク③
②の続きです。
あぁ
なんだか怪しい日記が続いてますね。
(実は一気に書いたら長かったので、3つに分けました)
頭変になったんじゃない?と思われるかも、ですね。
(大丈夫。もともと変だと思っています)
ただ何となく、今のタイミングで、
この感覚を書いてみたくなってしまったので
日記に綴っているのであります。
身近な人→ダンナは、厳しい現実を、家族の為に?
とてもマジメに生きているお方なので
この手の話は子守唄のようで、即効で居眠りします。
あ、でも、巷で流行っている?スピリチュアルな感じとは
違う、と思います。よく知らないけど。
こういう不思議な感覚の日記を書いてはいても
いわゆるテレビ的スピりチュアルには無頓着です。
そーゆー番組や本もほぼ見ないし。
オーラとか、守護霊とか、前世とか、そーゆーのは
あまり意識して知って、分析したいとか思いません。
そういうことで不幸の原因探しをしたり
幸せになる方法を手に入れたりしようとするより
ただ、今生かされていることに心から感謝して
今の自分をしっかり生きていくことが
守護霊も、前世の念(もしあるのなら)も、嬉しいのでは?
と思います。思い込んでいます。
霊界とか魔界とか、確かにあるとは思います。
土地の因縁とか、家の中の気の流れとかも気になるところ。
ですが、最近多い、霊的なビジネス・啓発的なものに関して
ふつーの人が感じて、すぐコンタクト出来る様なものってのは
やっぱり低級霊で、そのへんに行き場なく漂ってるものでしょう。
今そんなもの(依存させるもん)が溢れている世の中も
やはり人の心を反映している世界なんだなーと思います。
おっと、なんか脱線しちゃいました
いきなり変な日記を立て続けに書いてるので
変な宗教にでも入ってるのか?と思われるのもヤなので
「違う」と言いたいが為にいろいろ書いてしまいました。
話を元に戻します。
「スピードが速くなってきている」という感覚を通して
「自分の存在」についてのわたしの感覚に
フォーカスしてみたわけですが
①で書いた、
本来の自分自身+心(人格)+乗っけてもらってるカラダ、
という感覚が1つにまとまったのが「わたし」だとしたら
本来の自分自身がいつも一緒にいて
出しゃばらずに薄目を明けつつ、そっと見守り寄り添っていてくれ、
どんなに酷使しても健気にも自力で回復してくれる
ありがた~~~いカラダ様が味方で、
それってなんとも心強い安心感!だと気付くわけです。
そして心はラクに、ありのままに
強く(=弱さを受け入れることでもある)なれるわけで
そうすると毎日幸せを感じられる、ってのが
今1番日記に書きたかったことの1つでありますね。
②で書いた、いまだ分からない、たどり着けない、
自分自身の存在の感覚(意識?)の行く末は
いつか分かるときが来るのでしょう。ね?
やはり今は、この現実に、大地に、
しっかり足をつけて生きていくことこそが
わたしのいのちの使いみちなんだよな!というわたしの心に
薄目を開けてOKサインを出すもう1人の自分がいます。
うんうん。そうだそうだ。それしかないのだ。それでいいのだ!
さぁて!洗濯物が山になってるぞー
家族5人分のハンカチやらシャツやら、アイロンかけねば。
明日は家庭訪問もあるぞ。ちと掃除でもせねば。
現実は甘くない。
面倒くさいことだらけだ。でもそれもまた楽しい営み。
ユカイにね、ガンバロウっと。
あぁ

なんだか怪しい日記が続いてますね。
(実は一気に書いたら長かったので、3つに分けました)
頭変になったんじゃない?と思われるかも、ですね。
(大丈夫。もともと変だと思っています)
ただ何となく、今のタイミングで、
この感覚を書いてみたくなってしまったので
日記に綴っているのであります。
身近な人→ダンナは、厳しい現実を、家族の為に?
とてもマジメに生きているお方なので
この手の話は子守唄のようで、即効で居眠りします。
あ、でも、巷で流行っている?スピリチュアルな感じとは
違う、と思います。よく知らないけど。
こういう不思議な感覚の日記を書いてはいても
いわゆるテレビ的スピりチュアルには無頓着です。
そーゆー番組や本もほぼ見ないし。
オーラとか、守護霊とか、前世とか、そーゆーのは
あまり意識して知って、分析したいとか思いません。
そういうことで不幸の原因探しをしたり
幸せになる方法を手に入れたりしようとするより
ただ、今生かされていることに心から感謝して
今の自分をしっかり生きていくことが
守護霊も、前世の念(もしあるのなら)も、嬉しいのでは?
と思います。思い込んでいます。
霊界とか魔界とか、確かにあるとは思います。
土地の因縁とか、家の中の気の流れとかも気になるところ。
ですが、最近多い、霊的なビジネス・啓発的なものに関して
ふつーの人が感じて、すぐコンタクト出来る様なものってのは
やっぱり低級霊で、そのへんに行き場なく漂ってるものでしょう。
今そんなもの(依存させるもん)が溢れている世の中も
やはり人の心を反映している世界なんだなーと思います。
おっと、なんか脱線しちゃいました

いきなり変な日記を立て続けに書いてるので
変な宗教にでも入ってるのか?と思われるのもヤなので
「違う」と言いたいが為にいろいろ書いてしまいました。
話を元に戻します。
「スピードが速くなってきている」という感覚を通して
「自分の存在」についてのわたしの感覚に
フォーカスしてみたわけですが
①で書いた、
本来の自分自身+心(人格)+乗っけてもらってるカラダ、
という感覚が1つにまとまったのが「わたし」だとしたら
本来の自分自身がいつも一緒にいて
出しゃばらずに薄目を明けつつ、そっと見守り寄り添っていてくれ、
どんなに酷使しても健気にも自力で回復してくれる
ありがた~~~いカラダ様が味方で、
それってなんとも心強い安心感!だと気付くわけです。
そして心はラクに、ありのままに
強く(=弱さを受け入れることでもある)なれるわけで
そうすると毎日幸せを感じられる、ってのが
今1番日記に書きたかったことの1つでありますね。
②で書いた、いまだ分からない、たどり着けない、
自分自身の存在の感覚(意識?)の行く末は
いつか分かるときが来るのでしょう。ね?
やはり今は、この現実に、大地に、
しっかり足をつけて生きていくことこそが
わたしのいのちの使いみちなんだよな!というわたしの心に
薄目を開けてOKサインを出すもう1人の自分がいます。
うんうん。そうだそうだ。それしかないのだ。それでいいのだ!
さぁて!洗濯物が山になってるぞー
家族5人分のハンカチやらシャツやら、アイロンかけねば。
明日は家庭訪問もあるぞ。ちと掃除でもせねば。
現実は甘くない。

面倒くさいことだらけだ。でもそれもまた楽しい営み。
ユカイにね、ガンバロウっと。
2008年04月26日
速まるスピード・わたしカンカク②
前回の①に続いて考えたことです。
以前は、
「自分の存在」というものは
わたし的には「個」であり、1つのものだったはずなんだけど
最近は、
自分は物理的現象としては「1 / 個」であるけど、
実は1つではなくて、3つくらい(もっとかも?)で成っている?
という感覚で日々過ごしているのによく気付きます。
(気付いてからスピードが速くなったような気も・・・)
気付くわたしは誰?って感じなんですがね。
(あ、分裂しているわけではないですよー
)
もともとあった「本来の自分自身」が
今を生きていく(為の)この「カラダという道具」に乗って
その結果、それ相応の「心(人格)」が形成されて
目の前の現実を日々生きている、
みたいな感覚なんです。
で、何かあると、自分の中で
わたし(心):ねぇ、アンタどー思う?
本来の自分自身:んー、知らん。
でもま、いいんじゃない、それで。
てな感じで、時々はカラダ様にもお伺いを立てながら
えっちらおっちら日々を過ごしてる感じです。
以前はよく
「自分と向き合う時間」と称して
似たようなことを意識してやってたような気がしますが
今は無意識に、頭で考える間もないまま
そういう感じになってしまいます。
さらに、こんなことを書くと
「タイヘンだ!病院へ行ってください!」
と思われそうですが
先ほどの
本来の自分自身:んー、知らん。
でもま、いいんじゃない、それで。
というパートが出張して?
庭のアラカシの木が、
窓から見える塀にとまったスズメが、
その台詞を言ってるような・・・
そんな感覚に触れることがよくあります。
アラカシの木も、スズメも、もう1人の自分?
なんじゃそりゃ~ですかね。
まぁそんな気がしているだけで
実際に耳に聴こえたりするわけではないです。
多分自分の意識が鏡のように、木やスズメを通して
反ってきただけの話ですね。
しかしそう思うと、結局目に見える全ての現象は
自分自身の世界を反映しているんだろうかー?
なんて考えに行き着いたりしています。
そして、
自分の存在って何なんだろう?
と、こどもの頃のように(宇宙の果ては?裏側は?みたいな)
懐かしい思考に浸ってしまいます。
ただ、行き着く思いはこどもの頃とは違いますね。
こどもの頃は、自分の存在を考えたときに浮かぶ、
未知の世界への漠然とした恐怖心と、少しの好奇心で
頭も心も不安定な気持ちに満ちてしまってました。
それは多分「死=闇=無」みたいなイメージがあり
自分自身の消滅を恐れていたからかもしれません。
しかし今は、自分の存在は小さいけど、一瞬にして広がる、
自由自在なものなのかも?
時間とか、次元とか、関係ないところで
そこに漂っているものなのかも?
と、感じることが多々あります。
これって不思議な感覚だけど、恐怖や不安ではなく
静かで安らぐ場所に自分がいるイメージです。
(多分坐禅や瞑想の影響だと思います)
だけど、イメージするだけで、その先が分かりません。
そこからどうなるのか、どうするかは、想像出来ません。
分からないまま、たどり着けないまま、また、
現実世界の「生」とか「死」とか根源的なものへ振り出されます。
そうやって「わたし」を何度も繰り返してきたんでしょうかね。

③に続く
以前は、
「自分の存在」というものは
わたし的には「個」であり、1つのものだったはずなんだけど
最近は、
自分は物理的現象としては「1 / 個」であるけど、
実は1つではなくて、3つくらい(もっとかも?)で成っている?
という感覚で日々過ごしているのによく気付きます。
(気付いてからスピードが速くなったような気も・・・)
気付くわたしは誰?って感じなんですがね。
(あ、分裂しているわけではないですよー
)もともとあった「本来の自分自身」が
今を生きていく(為の)この「カラダという道具」に乗って
その結果、それ相応の「心(人格)」が形成されて
目の前の現実を日々生きている、
みたいな感覚なんです。
で、何かあると、自分の中で
わたし(心):ねぇ、アンタどー思う?
本来の自分自身:んー、知らん。でもま、いいんじゃない、それで。
てな感じで、時々はカラダ様にもお伺いを立てながら
えっちらおっちら日々を過ごしてる感じです。
以前はよく
「自分と向き合う時間」と称して
似たようなことを意識してやってたような気がしますが
今は無意識に、頭で考える間もないまま
そういう感じになってしまいます。
さらに、こんなことを書くと
「タイヘンだ!病院へ行ってください!」
と思われそうですが
先ほどの
本来の自分自身:んー、知らん。
でもま、いいんじゃない、それで。
というパートが出張して?
庭のアラカシの木が、
窓から見える塀にとまったスズメが、
その台詞を言ってるような・・・
そんな感覚に触れることがよくあります。
アラカシの木も、スズメも、もう1人の自分?
なんじゃそりゃ~ですかね。
まぁそんな気がしているだけで
実際に耳に聴こえたりするわけではないです。
多分自分の意識が鏡のように、木やスズメを通して
反ってきただけの話ですね。
しかしそう思うと、結局目に見える全ての現象は
自分自身の世界を反映しているんだろうかー?
なんて考えに行き着いたりしています。
そして、
自分の存在って何なんだろう?
と、こどもの頃のように(宇宙の果ては?裏側は?みたいな)
懐かしい思考に浸ってしまいます。
ただ、行き着く思いはこどもの頃とは違いますね。
こどもの頃は、自分の存在を考えたときに浮かぶ、
未知の世界への漠然とした恐怖心と、少しの好奇心で
頭も心も不安定な気持ちに満ちてしまってました。
それは多分「死=闇=無」みたいなイメージがあり
自分自身の消滅を恐れていたからかもしれません。
しかし今は、自分の存在は小さいけど、一瞬にして広がる、
自由自在なものなのかも?
時間とか、次元とか、関係ないところで
そこに漂っているものなのかも?
と、感じることが多々あります。
これって不思議な感覚だけど、恐怖や不安ではなく
静かで安らぐ場所に自分がいるイメージです。
(多分坐禅や瞑想の影響だと思います)
だけど、イメージするだけで、その先が分かりません。
そこからどうなるのか、どうするかは、想像出来ません。
分からないまま、たどり着けないまま、また、
現実世界の「生」とか「死」とか根源的なものへ振り出されます。
そうやって「わたし」を何度も繰り返してきたんでしょうかね。
③に続く








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